湖西市へ

今日営業部長と一緒に湖西市へ行ってきました
今後の戦略のために楔を打ってきました
今年に入って本格的に動いてはいるのですが・・・
湖西市が合併に当たって今は足踏みをしている
来月になればもっと本格的な動きができるのではないかな?
これから未知の領域に入って行く
1つ1つしっかりと積み重ね結果を出したい
まだまだ道のりは長いが頑張りたいと思います。
部長と同行するといろいろ勉強になります。
特に相手とのトークは本当に勉強になり自分の未熟さを知ります
部長を超えるように日々精進です


ちょっとした話。
今日紹介する人物は、三国志の中で私が1番好きな人物
「甘寧興覇(かんねいこうは)」
若い頃は遊侠を好み、不良の若者を集めて武装させ、彼らの頭領をやっていた
羽飾りを背負い、鈴を常に携えていた
民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧だと分かったという
この事から「鈴の甘寧」とも言われた
江湖一帯を縦横に荒らしまわり、「錦帆賊」と呼ばれる水賊であったとも言われる
人に出会った時は、嘘をつき自分達を盛大に歓待させた
そうしない者には手下を使って財産を奪わせていた
しかし、二十年あまりも行っていた乱暴をパッタリと止め、いくつか書物を読むようになった
その後いくつかの軍を転々とするが最終的に孫権の呉に身を寄せることになる
甘寧は孫権に、まず荊州を押さえ、さらに益州をも攻め天下に覇を唱えるという「天下二分の計」ともいえる戦略を提言している
この事からただの盗賊まがいの人物から呉の武将として成長したと言える
しかし、荒々しい性格は収まらず、たびたび些細な事で人を斬り殺しては、上司である呂蒙に戒められていたと言う
ある戦いで曹操軍を打ち破るが、その後的に包囲されてしまう
甘寧は猛攻に何日も耐え、平然と談笑して屈せず耐えしのいだ
蜀の関羽も甘寧に一目置いていた
その後、合肥の戦いでは、百人ほどの選抜隊を組むと曹操の陣営に夜半奇襲をかけた
このとき、渋る部下に対し「孫呉の将軍である俺ですら死を覚悟しているのに、お前らがそうでないとは何事か」と号をかけ、隊を鼓舞したという
これにより敵兵は混乱し、動揺して引き下がった
孫権は喜び、「孟徳(曹操)には張遼がいて、私には甘寧がいる。丁度釣合が取れているな」と甘寧の武勇と豪胆さを賞賛した
甘寧の死についてはハッキリしたものが残っていない
粗暴で殺人を好んだものの、しかし爽快な人柄で優れた計略を持ち
財貨を軽んじて士人を敬い、手厚く勇者たちを育てたので、彼らの方でもまた役に立ちたいと願ったと言われる
ただ武力だけの武将でなくどこか人間らしい所を持った人物だったのだろう
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