今週の土曜日に営業部の清掃活動がある
場所は先日も書いたがマルセ!
浜名湖だ!
去年も頑張ってゴミを拾った記憶がる
今年も周辺のゴミを根こそぎ取ってやるぜ
間違って道路の舗装を取らないようにします
ピッカピカにしてきますから
清掃活動が終わったら貝を拾います
1時~2時までが潮が引くらしい
ちょどお昼を食べ終わったら拾います
貝はいるのでしょうか?
全然情報がないので楽しみです
熊手を買っておかないと
ちょっとした話。
今日紹介する人物は、五虎将の1人
「馬超孟起(ばちょうもうき)」
馬超の父は馬騰
馬騰は韓遂と共に涼州の独立勢力を要していた
一度は、魏の曹操に帰順した
しかし、馬騰の命を代償に馬超は反旗を翻した
この時韓遂も馬超と共に兵を起こした
曹操も自ら兵を率いて出兵した
潼関にて両軍が退治することになる
曹操は裏を付いて潼関を迂回した
馬超は騎兵を率いてその殿軍に猛攻をかけた
その苛烈さに曹操の軍勢は混乱し、曹操自身も命を落としかけるほどであった
その後も激しい攻防が続いた
しかし、魏軍の賈詡の離間の策により韓遂と不和となってしまう
そのことが原因で結果、大敗することになってしまう
馬超は他民族を引き連れ何度か魏と戦った
結果勝利を得ることができず南へと流れていくことになる
その先で劉備と出会い配下となる
ちょうど劉備は蜀の地を攻めているときだった
馬超の名前の力は大きく敵は馬超が劉備に降ったと聴くと
戦意を喪失していった
そして劉備は無事蜀の地を手に入れ王となる
劉備軍の中でも馬超の評価は高かった
ある軍師は「君が外で兵を挙げ、私が内を取り持てば、天下は思いのままである」とも言っている
その後、漢中攻略にて武勇を振るった
しかし、短命で関羽、張飛と続いて亡くなっている
結局、劉備の元に着てからはあまり活躍する場がなかった
人間病気には勝てないということでしょうか
馬超は17歳のときすでに敵の武将を討ち取っていた
他にも、魏の許褚との一騎打ちをし互角以上の力を見せた
張飛とも一騎打ちをしたことがあり、そのときも互角に渡り合った
馬超の戦場での姿が見事なの為「錦馬超」と呼ばれた
自身の死に際して馬超は劉備へ「馬岱をくれぐれも宜しくお願いいたします。」と言い遺している。
武勇一筋と見られがちの馬超だが一族の未来もしっかりと考えていた
馬超だけでないが蜀の武将はこれからと言うときに亡くなって行く